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2008年の大河ドラマ「徳川篤姫」(安田至先生のご高説) 薩摩おごじょに決定 平成二十年度NHK大河ドラマは天璋院篤姫に決定した。薩摩おごじょの快挙、薩摩の歴史が今、また話題に上るという快報である。 NHK大河ドラマといえば、今まで、忠臣蔵、 義経、信長、秀吉、などの男子のドラマであった。もともと、日本では男尊女卑、妻は主人の犠牲になるという美徳感が根付いていた。 戦後、女性解放運動や男女平等の機運が高まり、最近では、加賀百万石の利家とまつ・巧名が辻の山内一豊の妻千代ヒロインがでてきたが主人公ではなかった。来年は篤姫ヒロインが主人公である。天保六年(一八三五)、生まれ、高い格式をもった今和泉家島津忠剛の長女(敬子)として生まれた。将軍家から十三代徳川家定の御台所に相応しい娘はいないかと打診があったが、島津斉彬には年頃の娘なく、そこで、篤姫が候補にあがって、藩主斉彬の養女とし迎えいれられた。将軍家定には、御台所二人があった。二人の妻も亡くなり、子供もいなかった。 家定は世継嗣もつくれない、病弱であり、徳川家では健康で子宝に恵まれるような御台所を探していたのである。 薩摩藩主斉彬は、実子ではない敬子の優れた賢さに目をつけて自分の養女にし、名も大名の子らしく「篤姫」とあらため、さらにまた、近衛関白家の養女とし、将軍家にお輿入れしてもおかしくないという工作には凄みさえ感じられた。現十三代将軍家定の正室として入れる計画は成功した。背景には国政・幕政も操れるという発想だったものと考える。「そなたは、不憫ではあるが、天下のためだと思い、嫁いでほしい」国難を切り抜けるために!という心情だったらしい。尊敬していた斉彬公から言われたとおり、その気になって、当時幕府の最高実力者阿部正弘の後押しもあって軌道にのせられ、篤姫お輿入れは、安政三年(一八五六)将軍家に嫁した。 しかし、阿部正弘のほうが家定より先に急死、斉彬も死亡、家定との夫婦としての交わりのない女を捨てて、夫をいたわり、後には生活習慣の違う和宮と嫁姑の間をうまく寄り添い、大奥権力闘争に明け暮れる人生、その聡明な薩摩おごじょの美徳といえるだろう。 江戸城明け渡しのあと、薩摩に帰らず、 女が一度嫁いだ以上、そこで尽くす、つまり 徳川家のために人間として孫たちを育てるという薩摩士魂の行いであった。 「女の道は、前へ、引き返すのは恥」江戸大奥から時代の激変を見据え、最後まで「誇り」を失わなかった「天璋院篤姫」のヒロインドラマ放映が待ち遠しい。 安政五年(一八五八)家定死去・天璋院と号す。 明治十六年(一八八三) 死去・四十九歳。 |